ティエウとトゥオンの兄弟は、いつも一緒の仲の良い兄弟。
思春期を迎える12才の兄ティエウは、近所に住む少女ムーンが気になっているが、うまく想いを伝えることができない。そんなある日、ムーンが家の不幸から兄弟の家に身を寄せることになる。一緒に過ごす時間にティエウの恋心は募るばかり。
しかし急接近したトゥオンとムーンの仲に嫉妬したティエウは、遂に取返しのつかないことをしてしまう…。
『青いパパイヤの香り』から23年。ベトナムから世界を席巻する新たな才能が登場!
無邪気と不思議に満ちた少年時代…誰もが遠い記憶の片隅にある、切なさを思い出す──
1980年代後半、ベトナム中南部の貧しい村に生きる、兄弟と幼馴染みの少女との淡い初恋を描いたベトナムの人気作家グエン・ニャット・アインのベストセラー小説を原作に、新世代監督、ヴィクター・ヴーが詩情豊かに映画化。
緑豊かなフーイエン省の自然を背景に、思春期の悩みや嫉妬、別れの痛み…少年から大人になる瞬間を詩情あふれる映像で表現した、輝きと郷愁に満ちた物語。ハリウッド映画がスクリーンの大半を占めるベトナムにおいて、興行的・批評的大成功をおさめ社会現象となった本作は、第89回アカデミー賞外国語映画部門にベトナム映画代表として出品された他、トロント国際児童映画祭など海外映画祭でも数多くの賞を受賞した。
監督のヴィクター・ヴーは、アメリカで生まれ育ち、ハリウッドで映画を学んだ後に祖国へ戻り、若くしてヒットメーカーとなった新鋭。トラン・アン・ユン監督以来の逸材として期待される監督のひとり。主役の子供たちは、すでに多くのキャリアを持つ有名子役だったが、本作でその人気が爆発。卓越した表現力で、観る者の感情を揺さぶる。特にムーン役の少女、タイン・ミーは、撮影時9歳にして国内で最も優れた俳優のひとりと言われ、ベトナムの芦田愛菜的存在として愛されている。誰もが心の中にある、子供時代の切ない思い出。そんな心の痛みを想起させる、永遠に残る宝物のような作品。
ティエウとトゥオンの兄弟は、いつも一緒の仲の良い兄弟。
思春期を迎える12才の兄ティエウは、近所に住む少女ムーンが気になっているが、うまく想いを伝えることができない。そんなある日、ムーンが家の不幸から兄弟の家に身を寄せることになる。一緒に過ごす時間にティエウの恋心は募るばかり。
しかし急接近したトゥオンとムーンの仲に嫉妬したティエウは、遂に取返しのつかないことをしてしまう…。
ティエウ
ティン・ヴィン
Thinh Vinh
2000年10月19日生まれ。本作撮影時は14歳という若さでありながら、俳優として7年もの芸歴を積んでおり、ベトナムのテレビや映画ではすでに広く知られる存在となっている。 他の出演作は『14 ngày phép』『Ngôi nhà trong hẻm』『Hạnh phúc trong tầm tay』『Đảo khác』『Miền chân sóng』『Anh hùng làng Nà Mạ』など。
トゥオン
チョン・カン
Trong Khang
2004年3月13日生まれ。5歳で俳優になって以降、多くの映画で活躍。広告業界からも注目されており、多くのコマーシャルに出演し、活躍の幅を広げている。声優としての出演作はハリウッド映画モンスター・ホテル2(デニス役)、PAN〜ネバーランド、夢のはじまり(ピーターパン) 他の出演作に『Ký ức tuổi thơ』『Neighbors』『Thế giới diệu kỳ』『Hello Cô Ba』『Cô dâu đại chiến 2』など。
ムーン
タイン・ミー
Lam Thanh My
2005年9月21日生まれ。10歳にも満たない年齢でありながら、ベトナムで最も優れた俳優のひとりと評されるほどの演技力を持つ。すでに20本以上のテレビドラマに出演しており、現在では大手ブランド企業の全国コマーシャルなどにも起用されている。2014年にはホラー映画『ホロー』の主役として注目を集め、その後ヴィクター・ヴー監督『Scandal - The Comeback』に子役として参加。主演映画は2作目となる。他の出演作に:『Đoạt Hồn』『Siêu trộm』がある。
ダンおじさん
グエン・アイン・トゥー
Nguyen Anh Tu
1993年生まれ。ホーチミン市映画演劇大学卒。1993年生まれ。ホーチミン市映画演劇大学俳優科を優秀な成績で卒業。現在はYoung World Theater所属の若手俳優。テレビドラマに出演。かつては劇団Upに参加し、若い世代によく知られる。本作撮影時は大学在学中だった。主な舞台作品に「Mom is still waiting」「The last June」「Only Love remains」「Carmen」など。
ヴィン
カイン・ヒエン
Khanh Hien
1991年生まれ、ハノイ映画演劇大学に合格するも家庭の事情で通えず、その後CMに出演し始め、劇団イデカフIdecafの俳優となるうち、本作のヴィン役に選ばれる。本作出演後、多数のテレビドラマに出演、自身の代表作となるテレビドラマ「Bản sao Nguy hiểm」にも。映画出演の2作目は『Taxi, em ten gi?』。
ニャン先生
マイ・テー・ヒエップ
Mai The Hiep
1993年、米国イースト・ロサンゼルス・カレッジの演劇専門学校を卒業後、カリフォルニア宗立大学で演劇学を専攻。卒業後は俳優、舞台監督、振付、編集から舞台美術、照明、衣装、ビデオ・映画制作まで幅広くこなす。2017年5月公開の映画「Có Căn Nhà Nằm Nghe Nắng Mưa」を制作・監督。
ニー
ミー・アイン
My Anh
POPアーティストのダン・ビン・フンのABCキッズダンスチームのメンバー。現在、歌、ダンス、演技など幅広い分野で活動している。映画出演は本作が初となる。
監督:ヴィクター・ヴーVictor Vu
1975年アメリカ・南カリフォルニア州生まれ。ロサンゼルスにある、ロヨラ・メリーマウント大学で映画制作の学位を取得し、ハリウッドで技術者として映画制作に関わる傍ら、映画製作を開始。2003年「First Morning」で長編監督デビューを果たす。2009年からはベトナムへ拠点を移し、以後は毎年1~2本ペースで監督作品をリリース。一躍大ヒット監督の仲間入りを果たす。またベトナム国内で最高の映画賞といえる金の蓮賞を2012年に最優秀監督賞、2013年には最優秀作品賞、そして本作では最優秀監督賞と最優秀作品賞のダブル受賞を果たした。
statement
記憶は、未来だけでなく現在の行動の指針になると言われ、子供時代の思い出はおそらく最も貴重であり、すべてに影響を与えています。この原作は、これらを理解していて、1980年代半ばのベトナムを舞台に、子供が大人へと成長する過程を追ったどこかノスタルジックな物語です。飾り気がなく、素直でちょっと奇妙。まるで12才の頃の日記をめくるようで、記憶の断片のように、無邪気さと不思議、孤独と混乱に満ちていた世界を、明らかにしてくれます。 原作者にとってはプロットや構造は重要では無く、ティエウとトゥオンの兄弟の感情の起伏に興味があるのです。彼らの関係の変化、伝統的な家族の力関係、彼ら周辺の美しい環境や雰囲気…それらが子供の目線で見た世界として描かれている。初めてこの本を読んだ時に、一瞬にして映画化を想像し、魅了されたのです。
原作
グエン・ニャット・アイン
Nguyễn Nhật Ánh
1955年クアンナム省生まれ。1973年にサイゴンに移り住み、師範学校に学ぶ。解放後は青年突撃隊に参加、地方で教師やホーチミン共産青年団で働き、1986年から「サイゴンザイフォン」紙記者。1995年に20年間で最も愛された文芸作家の一人に選ばれると同時に、ホーチミン市文芸作家協会よりこの20年を代表する若手作家20名の一人に選出される。1998年にはキムドン出版社より文芸書ベストセラー賞を受賞。2008年には「Cho tôi xin một vé đi tuổi thơ(幼き日への切符を一枚)」が「グイラオドン」紙で同年最も面白い文芸作品に選出され、2010年にはASEAN文学賞を受賞。日本でも「つぶらな瞳」(1990)は翻訳出版されている。
脚本
ヴィエト・リン
Viet Linh
サイゴン生まれ。映画業界で40年以上の経験を持ち、劇映画とドキュメンタリーの両方で監督、編集、脚本などさまざまな役割を果たす。監督作品では、『Gánh xiếc rong(旅回りの一座)』(1988)でベトナム国内の映画賞で監督賞ほか4冠を達成した他、ベルリン国際映画祭でも観客賞を受賞。『Chung cư(アパートメント)』(1999)では、第21回モスクワ国際映画祭に入賞。『Mê Thảo(メタオ)』(2002)』を含めこれらは、東京国際映画祭(カネボウ女性映画週間)やアジアフォーカス福岡国際映画祭など日本でも上映されている。
音楽
クリストファー・ウォン
Christopher Wong
ジェリー・ゴールドスミスに師事し、2003年から映画音楽の作曲を始める。アジア系アメリカ人の映画音楽を多く手がけ、ヴィクター監督とは長編1本目の「First Morning」からほぼ全ての作品でコンビを組んでいる。
監督インタビュー
◎原作に惹かれた理由
プロデューサーから映画化の提案とともに原作を渡され、読み終えてすぐに監督したいと即答しました。その時の私は非常に感情が高ぶっていました。兄のティエウに過去の自分を重ね合わせていたのだと思います。原作で描かれている兄弟の関係性は、ベトナム育ちではない私にとっても非常にパーソナルなテーマとして響きました。私にも弟がいて、弟はいつも私を崇拝してくれていましたが、私は決して優しい兄ではなかった。若い時は家族をないがしろにしがちです。
ティエウは決して悪い人間ではなく、未熟で自信がないだけ。それに対して弟のトゥオンは完全に無垢です。ティエウの未熟ゆえの不安定さは原作の重要なテーマでもあります。
原作者のグエン・ニャット・アインはベトナムでもっとも有名な作家の一人です。白状すると、この映画に取り掛かるまで彼の名前は知っていたものの、作品を読んだことはありませんでした。『草原に黄色い花を見つける』を読んですぐに、他の作品も10冊ほど読み、夢中になりました。今、そのうちの一つ(日本語にも翻訳されている『つぶらな瞳』)を映画化する企画を考えています。
◎映画化の際に重視した原作のエッセンス
グエン・ニャット・アインからは「映画はあなたの作品ですから、情緒さえ大事にしてくれたら、ストーリーは自由に変えていい」と言われました。小説は81章の80以上の断片的なエピソードから成り立っていて、はっきりした筋らしきものはありません。また、メインの登場人物の他に大勢の村人が登場し、それぞれの背景が描かれます。ベーシックな三幕構成の映画脚本にするためには、ストーリーを再構築し、登場人物とエピソードを大幅に取捨選択する必要がありました。
基本的に削ぎ落とす作業がメインで、原作の要素に大きく足すことはしませんでしたが、ストーリーの流れを作るために、主に兄弟とムーンの関係を表す場面をいくつか加えています。たとえば、原作ではムーンが去る時の具体的な描写はありませんが、映画では主人公の感情の流れに決着をつけるために、きちんとお別れするシーンが必要だと思いました。また、当初は原作にはない、大人になったトゥオンが村に帰ってくる場面を作っていました。映画に大人の視点が混ざると少年時代の情緒が薄れて、原作の世界観から遠ざかってしまうと思い、最終的に削除しましたが。
この原作を映画に置き換える作業は、想像していた以上に難しく、プロデューサーたちと何度も議論しました。原作の何を取り入れて何を省略するかを話し合う中で、私がどうしても入れたかった要素の一つが、カエルとお姫様のおとぎ話です。ラストで流れるアニメーションは当初、トゥオンが本を読むシーンに挿入するつもりでしたが、編集時に変更しました。観客が物語を通して、カエルやお姫様が何を象徴しているかを理解した段階で見せたほうが効果的だと判断したのです。
◎80年代後半のベトナムの再現
ベトナムの人々にとって80年代は、生活が非常に厳しかった時代です。特に私の親の世代は、この時代の苦労を今でもよくおぼえています。できるだけ忠実に描きたいと思い、自分の両親をはじめ、当時を知る人たちに会って話を聞くなど、多くの時間をリサーチに費やしました。生活様式だけでなく、子どもたちが厳格な父を恐れているような家族関係も、当時のベトナムでよく見られた光景です。
一方で、これは子どもの視点で描いた映画です。子どもの目に映るイノセントで美しい世界を描くため、原作の舞台ではありませんが、ピュアな自然が残るフーイエン省をロケ地に選びました。フーイエンに実在する一つの村をオープンセットのように使って撮影しています。劇中の民家のほとんどはセットで、市場もゼロから作りました。一部、実際の建物も使っていますが、古めかしく見せています。ロケ地はベトナムの中で最も工業化されていない地域の一つですが、それでも現在の生活様式は80年代後半から大幅に変化しています。
◎映画がベトナムで大ヒットした理由
原作がとても多くの人に愛されていることが何よりも大きいです。『草原に黄色い花を見つける』は、私だけでなく多くの人にとってパーソナルな物語なのだと思います。とはいえ、ここまでヒットするとは誰も想像していませんでした。製作者たちも驚いています。ヒットを目指して作った映画ではなく、純粋に原作に惚れ込んで作った作品だったので。
◎ベトナムで映画を作り始めた経緯
カリフォルニアで育ち、子供の頃はヒッチコック、スコセッシ、スピルバーグなどのハリウッド映画を好んで観ていましたが、自分で思いつくストーリーはいつも、ベトナムが舞台のベトナム人の話でした。その後、黒澤明や張芸謀の映画に出合ってアジア映画を観るようになり、出てくる風景がベトナムに似ているので親近感を覚えました。大学の映画学科に進んでからも、ベトナム人の家族を描いた短編ばかりを作っていました。周りはアメリカ人の方が圧倒的に多く、友人のほとんどがアメリカ人なのに、自分はベトナム人の心理の方がより理解できるような気がしていたんです。今振り返ると、その理由は家族の絆が強かったからだ思います。
大学を卒業し、VFX制作プロダクションのソニー・ピクチャーズ・イメージワークスとシネサイトで技術者として6年ほど働いた後、本格的に映画を作り始めました。アメリカを目指すベトナム難民一家を描いた1作目の「First Morning」は、ベトナムでの撮影を試みましたが許可が下りず、カリフォルニアをベトナムに見立てて撮りました。2本目「Spirit」もベトナムの怪談で、セットを丸ごと作りました。3本目の「Passport to Love」でやっとベトナムでの撮影が実現し、それ以来、ベトナムで映画を作り続けています。
コメント
魔法にかけられたような不思議な時間。こんなに優しい映画に出逢えるとは。
我が子達に観せたい大切な作品です。
美しかった。
優しかった。
心が洗われました。
その自然に、その思春期の純真に、そのりりしい演出に。
心のひだをそよぐ風のような抒情音楽。
ずっと見ていたくなる、ずっと聴いていたくなる、そんな作品。
恋ってこんなにきれいで、不器用なものだったのかと懐かしくなった。
美しい自然の風景と、ピュアな少年少女の表情。
見ているといつしか心が和んでいました。
ありがとう。
戦争の傷あと、メコン河下流の洪水など、さまざまな問題があっても子供たちの世界は不変。
瑞々しい良作で心洗われます。
映画冒頭、ベトナムの自然がギターとヴァイオリンの音色に合わさり、より綺麗に映し出される。 そこに流れる優しいメロディーの様に、その素朴さが魅力的で、どこか昔懐かしい日本の原風景にも通ずるものを感じる。 兄弟の絆、恋愛や事件を通して成長していく子どもたちの姿は、懐かしく暖かい気持ちになる。 映画館で携帯や騒音に邪魔されず、ゆっくりとこの優しい世界に浸ってもらいたい。
『草原に黄色い花を見つける』は、ともすればノスタルジー映画のようにも見えるのですが、描いているのは<心>だと思います。しかもそれは、後進の世代に対する<思いやり>ではないかと思うのです。映画には「現実から逃避する」という機能がありますが、この映画の向こう側にはヴェトナム戦争を経験した旧世代の<過酷な現実>が隠れている。しかし逃避することが悪いのではなく、「それでいんだよ」と語りかけるような優しさがこの映画の魅力だと思います。
好きな人への想い。家族や兄弟への想い。
思い合うからこそ生まれる葛藤やもどかしさ。
本来はとてもシンプルで純粋なものだという事を、ベトナムの美しい情景、自然の奏でる音、その中でとても真っ直ぐに温かく肌で感じる事が出来きました。
兄弟と幼馴染の主役三人の俳優(子役と呼ぶのが失礼)の演技がとにかく素晴らしい。的確なカメラワークと、原風景。拙作『お盆の弟』も男兄弟の話しですが、こんな美しい初恋は羨ましい。
ベトナムの風景と、昭和40年頃の群馬県の古里の桑畑がダブった。懐かしいです。
思春期の少年の淡い恋心、嫉妬、恐れ、後悔、記憶、切なさといった思いが、
監督の独特な時間軸で描かれていたと思います。
どこか懐かしい感じがしました。
ベトナムの自然は目の覚める様な深緑でした。
夜になると必要最低限の光がそこにあり、
まるでジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画の様でした。
人が人を想う事の難しさが等身大で描かれており、
純粋な愛情は盲目的な不器用さなのではと教えて頂いている様でした。
疑うことを知らない純粋無垢な弟のまぶしさに、次第に追い詰められてゆく兄。はじめての恋によってもたらされた、不安定な気持ちと懸命に闘う主人公ティエウの姿に、子どもの頃の忘れていた気持ちが呼び覚まされました。
大人になる一歩手前のズキズキするような痛みが、俳優たちの瑞々しい演技から伝わってきます。
映画というのは不思議なもので、個人的な作品であればあるほど、国や文化を問わず共感が湧きやすい。映画の主人公やヴー監督とは育った環境は全く違うが、僕も自分の兄との少年時代と重ね合わせ、自身の初恋を思い出し、言葉では表せない懐かしさと温かみを感じた。
どうやら少年の初恋が、実ることのないほろ苦い経験であることは、どこの世界でも同じらしい。
ひとは朽ちない物語を通して人生を深める契機を発見する。
この映画には決して枯れない花が咲いている。
草原に黄色い花を見つけるのは誰か。それは「わたし」だけ。
不滅の真理を知るよろこびがいまここにある。
過酷な日常の中にもちゃんと光は灯っていて、それを辿って今日まで生き延びて来れたこと。
遠い国の不思議な物語に思いを馳せました。
遠い世界へ旅にでも出たような記憶の中のビー玉遊びやゴム飛び、中秋節の星型提灯のあかり。
農村風景と音楽の調和に涙腺がゆるむ。
「弱くても頭を使えばいい」兄を気遣う弟の言葉にベトナム人の知恵を感じた。
2人の少年は、1人の人格が分かれたものと見る事も出来る。いつまでも無邪気に戯れていることは出来なくなった兄にとって、弟は次第に薄れていく子ども時代の自分であり、ゆえに苛々して壊したくなったりもするが、一方で守ってやりたくもなる。少年時代のかけらが、映画というかたちで神話的に再構成される作品だ。
子どもの頃を思い出して切ない気持ちになった。
未熟ゆえに人を傷つけてしまったこと。
大人に理解されず悲しかったこと。
でもそんな経験が子どもを大人にしてくれる。
ラストのティエウの微笑みが、そう教えてくれました。
日髙のり子(声優/女優)